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日航機123便墜落事故と高天原山の神話。(2014年8月12日)。
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友人に連れられて、関東一の清流「神流川」が流れる神秘的な奥多野に深く縁するようになりました。不思議と私もこの地を訪れる事が頻繁になってゆきました。

あるとき仲間3人と神流町に行く予定を立てました。するとなぜかその一週間前から、私の首が異常に痛むようになりました。そしてIさんの家に集まって、明日どこへ行こうかという話になり、どういうわけか御巣鷹山に登ろうということになりました。

翌朝4人で出発し御巣鷹山を目指しました。
上野村の中心地を抜けて現地の駐車場に至るまでの、きれいに整備された道路やトンネルを通る道すがら、墜落事故当時の救援隊として現場に急行され、道なき道を歩かれた地元の方々の、ご苦労を思わずにはいられませんでした。

車を降りて歩き出し、すげの沢から登り始めると、突然霊的に敏感なIさんに、次々と亡くなったご霊さんが彼女の口を借りてお話を始められました。「目が回る、目が回る、私の鞄はどこか」と訴えるサラリーマンの方や、自分の体の一部がないと訴える女性の方など事故の壮絶さに驚愕しました。

そして最後に来られたのは男の子でした。その子は「頭が熱い、頭が熱い」と私に訴えてきました。どうやら頭を強く打ってしまったようでした。そこで男の子にお祓いをさせて頂きました。しばらくすると落ち着いてお話をしてくれたのです。なぜか飛行機には一人で乗っていたそうです。現場を回る間ずっと彼が道案内をしてくれたのです。昇魂の碑の前で祝詞を奏上し、現地のお祓いをさせて頂き犠牲者の冥福を祈らせて頂きました。近くには犠牲者の方の遺影などが置かれている小屋があり、その男の子は「僕の写真がある」と言って、私達をそこへ案内したのです。彼は「これが僕だよ」と言って一枚の写真を指差しました。そこにはまだあどけなさの残った、かわいい小学生くらいの男の子の写真でした。

慰霊の祈りを終えて下山を始めました。しばらくすると男の子は「僕はもうこれ以上は一緒に行けない、おじさんありがとう、また来てね」と言って手を差し出してきたので、固く握手を交わして別れたのです。その後暫らくして、その子の名前は健君だということが判りました。ふと気が付くと、あれほど痛かった首の痛みが消えていたのです。

私は御巣鷹山の慰霊登山から帰ると、どうしてこの地で日航機墜落事故が起こったのか、ということを追求し始めました。

まず最初に判ったことは、123便が墜落した山が御巣鷹山の尾根ではなく、高天原山の尾根であるということでした。「タカアマハラ」という日本神道にとって最も神聖な所を示す言霊を冠する山で、単独機では世界航空機史上最悪の大惨事が起きたということは、神職である私にとって衝撃的なことでした。この事故には間違いなく、神的・霊的な意味合いがあるに違いないと確信しました。そしてこの事実に気付いたのは、高天原の神からのメッセージであり、この解明は私へ与えられた使命であると拝しました。

当時の上野村村長であった黒澤さんが、事故現場を「御巣鷹の尾根」としたのも不可解です。神流町の方のお話によると、以前町の人が高天原の神社に参拝に行かれたが、とても二度と行けるような所ではないと話していたことをお伺いしました。それほど険しい山奥に、なぜ神社がわざわざ作られなければならないのか?しかも信仰の対象になっていたとは、一体どのようなご祭神が祭られているのか?この謎を解明するためには、神流川の源である高天原山の神話を紐とかなければならないと思ったのです。
 
奥多野(群馬県上野村、神流町)に伝わっている神話によると、
「その昔高天原で神同士の戦があり、負けた方の神の首が切られて流れたのが神流川、胴体(あら)が流れたのを荒川、血が隈なく流れたので千曲川と名付けられた」ということが伝えられています。

この神話を見て、高天原山がただならぬ所だと直感致しました。そして嫌でもある神様にまつわる、忌まわしい歴史を想起せずにはいられませんでした。

しかも高天原山の神社を知っている上野村役場の方にお話を伺うと、その神社には菊の御紋があるということでした。なぜ人が近づけないような山奥に、皇室ゆかりの神社があるのか?またその周辺には、古くからある520体の石仏のような物が発見されている。一体何を意味するのか?上野村の人々も気味悪がっているということです。

私は背筋がぞっとするような戦慄を覚えました。この話神話は古事記や日本書紀あるような、後世に渡来した外国人や朝廷内の豪族にとって、都合の良いように作り変えた歴史書には載っていない、遥かに古く大変重要な事実を伝えているに違いないと確信したのです。

そしてこの神社のご祭神がどなたかということは、神話と菊の御紋でおおよその推測は出来ました。しかしながら世間一般に流布されている日本神話や歴史書では、そのご祭神を特定する資料的能力は無いということは判っていました。そこで学問的には偽史として無視されている古文献に頼らざるを得ませんでした。そしてとても有名な竹内文書という古文献を調査して行きましたが、私自身はこの地の神話に関するものは発見できませんでした。私は壁に突き当たって打つ手なしという状態に陥りました。困りは果てた末に、超古代史に詳しい世田谷区の幼稚園の園長先生に協力を依頼いたしました。

すると暫らくしてその先生から連絡があり、竹内文書を丹念に調べてみると、国之常立天皇(くにのとこたちすめらみこと)の御代に、「サヨノ、チクマノ、三獄山に葬る」という記述を発見出来たということでした。 私の推測どおりでした。因みにこの先生は、園児の両親と兄弟、一家4人を日航機事故で失っていらっしゃる方でした。「サヨノ」という文言は上古の時代、信濃国を「サヨリシノ」と言い、千曲川の源でもある三国山であることは容易に想像できます。古文献と地方の神話伝承、そして古神道霊学が一致したことは、真に驚異的なことでした。

この神流川の神である国之常立大神様(神名の表記は各文献によって異なる)は、皇室の祖先神であり、皆さんが良く知っていらっしゃるご存在です。節分になると、祟り神として日本全国で皆さんが炒り豆をぶつけて追いやっている、鬼とされてしまった艮(丑寅・うしとら)の金神です。金神とは年・月・四季に応じて、その居所を変える「遊行神」ですが、金神のいる方角は大凶であり何人も侵してはならないとされてきた。金神七殺といって、金神のいる方角を侵すと身内の者が七人まで殺されるという。金神は殺戮を好み、祟りを為す大邪神であり、北東、丑寅の方角(表鬼門)の金神は最も忌み嫌われてきました。平安京の北東に延暦寺を置き鬼門を封じたのもその為です。
 
実はこの高天原山に於けるこの神話は、太古にあった「天の岩戸閉め」を伝えたものなのです。古事記・日本書紀でも、天地創造の神世七代における第一の神とされており、人類共通の御親とも言える神様です。

その大恩ある神様に対して反逆し、天の岩戸に閉じ込めて注連縄を張り、さらに引退される神様に対して、「炒り豆に花が咲くころに出て来い」と言って、去って行かれる背中に豆を投げつけて呪詛(じゅそ)をかけたのです。炒り豆に花は咲きません。二度と永遠に出てくるなということです。それが日本では、今日まで節分の豆撒きという風習になって続いてきたのです。戦いに勝った邪神・福の神たちは政権交代に大喜びして酒盛りをし、正神の龍体を切り刻み、その臓腑(ぞうふ)まで煮て食べたという伝説が、「お雑煮」の祝いとなって残っています。またヒイラギのトゲで神様の龍体の目を突き刺したのが、イワシの目にヒイラギを刺して門前に飾る風習です。こうして福の神(七福神ではなく天若日子神系)という物欲・金欲を主体とした、人類界に悪の花咲く暴虐の世が始まる訳です。 外国から渡来した様々な氏族により、正しい歴史は抹殺改ざんされました。

天地創造の天津神も縄文時代までに祀られていた日本の神様のみ名も、古事記・日本書紀の神話の中では、その大部分が抹殺されています。その内容は曖昧模糊にされており、真実に迫ることが出来ないようになっております。大祓の祝詞では完全にすり替えられ、天津罪として列記されています。

遥か神代において我々人類も、邪神・福の神と一緒になって正神に対する恐るべき呪術を行い、等しく人類のみ親である神様を忌み嫌って反逆し、注連縄で封じ込めるという大罪を犯してきたのです。邪神は人類の祖神である神様を神向しないように、様々な手を打って正神と人類を遠ざけたのです。いまだに現在の神社神道は福神への祭祀が主体で、呪詛の型も注連縄、鳥居として存在し、国常立之大神様に近づけないような仕組みにされてきたのが真実です。

神様がカゴメ歌で秘め事を伝えてこられたとおり、籠の中の鳥にされていた神様が、神社の鳥居という籠からお出ましになられ、世の大立替、世直しにお出ましになる時が到来したのです。上野村は亀甲石の出る所であり、亀甲紋は六妄星のカゴメを中に囲ったもので、「鶴」のマークの飛行機が「亀」の地を引っかいたということなのです。

またこの地で長らく天の岩戸を閉ざしていたことを思わせる、日影長戸岩と言われるものも存在し、その符号に驚かざるを得ません。そして国常立大神様(天皇)の御陵とされる三国山もその昔は三獄山と言われており、木曽の御嶽山も国常立大神様を祭神としており、本質的には神にとっての牢獄になっているのではないかと思われます。

そして123便という数霊は、皇室神道に伝わるヒフミ祝詞に関連してきます。天の岩戸神話の場面で天の宇受売(うずめ)命は、ヒフミ歌を唱えながら舞ったとされています。

またカゴメ唄の神意、霊的示唆は多重的です。カゴメ紋はイスラエル・ユダヤのダビデの紋章でもあり、その関連を強く信じられている四国の剣山には、ソロモンの秘宝があると言われております。そしてその頂上には鶴岩と亀岩がある。まさに鶴亀(つるぎ)山なのである。カゴメの歌の通り、剣山から丑寅(東北)の方角を振り返ると、鳴門(戸)、神戸、そしてさらに行くと、大変重要な場所が浮かび上がって来るのです。

それは飛騨の霊峰位山です。位山の位とは、実はスメラミコト(天皇)のみ位を意味するもので、歴代の天皇は、この位山の一位(いちい)の木で作った笏を持って大嘗祭(即位式)に臨む事により、天皇になることが出来るのであります。位山の神は、皇祖・太陽神である天照日大神様です。天の岩戸にご引退された日の大神がお出ましになられております。

そして連動するように起こったことが、昭和59年9月に位山に程近い、日本の御岳信仰の大霊場である木曽の御嶽山直下の地震であり、続いて日航機墜落事故だったのです。御嶽山も三獄山(三国山)も「みたけ」の言霊で一致します。神戸の阪神淡路大震災の型示しで、神の戸がハジカレ、天の岩戸が開きが始り、地上に火と水による大洗礼が激化して参りました。また霊峰富士は、国常立大神様のお鎮まりになられたお姿だとも言われております。富士山の動きも活発化するようです。

これらの事柄を総合して読み解くと、高天原山(御巣鷹の尾根)の地は皇祖であり人祖である国常立之大神様に対して、大反逆したという人類共通の大罪である天津罪が行われた、地球上で最も恐るべき所であるという結論に達します。
飛行機事故の物理的側面だけを調査することではなく、霊的に考察するという事が重要なのです。宇宙一切は必然にして偶然なしです。すべて原因があって結果が存在します。墜落事故の犠牲者に対しての慰霊もさることながら、神流川の神に対するお詫びの神祭りが、先ず以って大事であることを、私達に示しておられるのではないでしょうか?それこそが人柱になられた御霊に報いる道であると信じて止みません。合掌。