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カテゴリ:人類の行き詰まり

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人工 DNA から生命が作られる物質科学の時代に考え直したい。100年前にシュタイナーが唱えた「人類が高次へ移行する方法」
http://oka-jp.seesaa.net/article/396857658.html より一部掲載。

・シュタイナー著『いかにして高次の世界を認識するか』は、太古の昔から秘儀の場で伝えられてきた霊的な訓練の方法を初めて書物という形式で公開した、という点において画期的な意味を持っています。

・「高い次元に上る修練について」の具体的な方法の一部を箇条書き的ですが、記してみたいと思います。

・ちなみに、私自身は、高い次元とか「霊的」とされる概念とふれることに興味はなく、私自身は今の状態でもいいのです。では、なぜそんなことを書きたくなったかといいますと、いかにして高次の世界を認識するか』の中の下のシュタイナーの文章を読んだことでした。
シュタイナー「真理を求める努力は、信頼と真の人間愛という基盤の上に「築かれなくては」ならないのです。そしてこのような人間愛はじょじょに、すべての生き物や、すべての存在に対する愛へと拡大していかなければなりません。そのような条件を満たしておかないと、学徒はもあらゆる建設や創造の営みに対して十分な愛を抱くことができなくなり、何かを破壊したり、滅ぼしたりするのをやめようとしなくなります」

・シュタイナー「ひとつだけ、どうしても守っていただきたいことがあります。すなわち私たちは、いま自分が置かれている人生の立場と義務から判断して、自由に使うことが許される以上の時間と力を訓練にあてるべきではありません。神秘学の訓練の道をたどることによって、私たちが一瞬でも、ほんの少しでも、日常生活の状況を変化させるようなことがあってはなりません」
・何よりも優先するべきは、「私たちのいつも通りの日常」なのです。

・ふだんの生活の中で、絶対的な指導者がいるわけでもなく、常に論理的に考え、そして、自分と他人の自由を最大限に尊重する。
・どんな集団にもリーダーは必要ない
・どんな集団にも最大に必要なのは個人の自由
・「リーダーがいないとできない」というのは現代社会の洗脳と暗示が強いと思われます。

シュタイナー「あなたが霊的に見たものについて沈黙することができるようになりなさい。それどころか、あなたは自分自身に対しても、霊的に直感したものについて沈黙を守らなくてはならないのです。」
それはどうしてかというと、
・そのような霊的な現象を未熟な言葉で表現しようとすると、たいていの場合は、自分で幻想を作り上げることになるため。
・日常的に使われる言葉は、本来、霊的な事象について語るために生み出されたものではないため。
ということで、つまり、霊的な体験は言葉では表現しづらいもののようで、それを言葉で他人や、あるいは自分に語った瞬間から、「それは単なる幻想となっていく」ということのようです。
そして、その「幻想」が真実であるかのようになっていき、本人をも追い込むものなのかもしれません。いずれにしても、霊的な事象は言葉で人と共有するものではないことが厳命されています。


神秘学の学徒になるための条件

シュタイナー「私たちが克服しなければならない性質には、怒りや不機嫌のほかに、臆病な心、迷信、偏見を好む心、虚栄心、名誉欲、好奇心、必要のないことを何でも人に話したがる気持ち、人間を外見的な地位や性別や血縁関係をもとに差別する態度、などがあります」
「どの条件に関しても、それを「完全に」満たすことは求められていない。学徒に求められているのは、完全に条件を見たすように「努力する」ことだけである」

第一の条件
「あなたの体と霊の健康を促進するように注意を払いなさい」
「確かに私たちは、はじめのうちは、みずからの健康状態を自分で決定することはできないかもしれません。しかし誰でも、体と霊の健康を促進するように努めることは可能です」

第二の条件
「自分自身を生命全体の一部分と感じること」
「私は全人類の一部分である。私は、生じるすべての事柄に関して、全人類とともに責任を負っている」

第三の条件
「私の行動だけではなく、私の思考と感情も、同様に世界に対して重要な意味をもっている」と考えることができる境地にまで上昇しなくてはならない。
「私が身近な人間に対して抱く憎しみの感情は直接殴りつけるのに匹敵するほど破壊的な作用を相手に及ぼす」と考えること。

第四の条件
「人間の真の本質は外見にではなく、内面にある」
これは、「人は姿じゃなくて心だよ」というような意味とはちょっと違い(笑)、シュタイナーの記述では、
「私という人間は外界の産物、つまり物質的な世界が生み出したものにすぎない」と考えるなら、私たちは、神秘学の訓練において何も達成することはできません。
「生命は物質から生み出されたわけではない」

第五の条件
「一度自分で決めたことは、確固とした態度で守り通す」

第六の条件
「自分に与えられるすべてのものに対する感謝の感情を育てる」
「私たちは、私という存在は宇宙全体からの贈り物であるということを知らなくてはなりません」

第七の条件
「つねにこれらの条件が求められるとおりに、人生を理解する」


十二弁の蓮華の育成のための「六つの条件」
第一の条件
「自分自身の思考の流れを支配すること」

第二の条件
「思考の場合とまったく同じような首尾一貫性を、行為においても保持すること」

第三の条件
「粘り強さの育成」

第四の条件
「人間や、ほかの存在や、さまざまな事実に対する寛大な態度(寛容さ)」

第五の条件
「人生のさまざまな現象に対するとらわれない態度」

第六の条件
「ある種の人生の均衡状態(平静さ)を捕獲すること」


霊学において高次の認識に上昇するために身につけなければならない四つの特性
第一の特性
「思考において真実と仮象のものを、真理と単なる意見を区別すること」

第二の特性
「仮象のものと向き合ったときに、真に実在するものを正しく評価すること」

第三の能力
「十二弁の蓮華を育成するための六つの特性で述べた、思考の制御、行動の制御、ねばり強さ、寛大さ、信じること、冷静さを実践すること」

第四の特性
「内面的な自由に対する愛」


境域の守護者
「目の前に広がる暗闇を自分自身で照らし出さなくてはならない、ということを理解するまで、あなたは私の境域を越えてはなりません。あなた自身のランプに十分に燃料が入っていると確信できないうちは、一歩たりとも先に進んではなりません。これまであなたが頼りにしてきた、導き手たちのランプは、これから先の未来においては存在しないのです」


・人間が高次に移行した後は、これまであなたを導いてくれていた「宇宙の導き」がなくなり、そこから先は「自分で自分を導いていく」ことだ。そういう意味では、高い次元に移行するということは、巷で言われる以上に「覚悟のいること」だとも言えます。
・それでも、上に出てきたシュタイナーの考え方は、「高次元」とか、そういうスピリチュアルを越えて、どれも心地よく響くものであり、あるいは「これからの人類が身につけるべき考えと行動」のようにも思います。
・今のままの人間の考え方では地球はもたないと私は思います。


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自分が「今生」に生まれた理由がやっとわかったのは嬉しいけれども、恐怖と不安からの解放の前に立ちはだかる「西洋科学的思考」

恐怖と不安からの解放

CNN の記事によりますと、この頭部の手術は、
首から下がまひした患者の頭部を切り離し、脳死と判定された他人の体に移植する――。イタリアの医師が、そんなSFのような移植手術の構想を描いている。米国で6月に開かれる学会で講演して協力者を募る考えだ。
とあり、

・首から下が麻痺した患者の頭部を切り離す
・脳死と判定された他人の体に移植する
ということをしようとしているのですが、何か違和感がある。

そもそも、頭部の神経組織を繋ぐほどの技術があるなら、麻痺そのものを治せるのでは、とか(頭部のすげ替えは動物でも成功したことがありません ← 過去に何度もサルでおこなわれています)。

考え方がもう本来の「医学」とは違う方向に進んでいる。現代の医学は、頭部のすげ替えなんてことができるレベルには到達していないのに、それでもやろうとする。

この状態は、「医学が人々に希望を与える」というより、むしろ「不安と恐怖を与えている」気がするのです。

人間という存在と、まして、その人生や健康は「1+1=2」では語ることはできないという視点が西洋科学的思考にはない・・・あるいは、「失ってしまった」気がするのです。

なお、「科学」、あるいは「哲学」を基本にするのは、相変わらず大事なことです。
科学を基盤にしなければ、何も進まないです。

でも、今の西洋科学思想は、医学も宇宙学も含めて、科学ではなく、むしろオカルトであることが、冒頭の頭部の手術のニュースでもわかるわけで、世界中で大量に使われている抗がん剤が「オカルト」(延命効果がないのに、延命治療として使う)であることも、すでに周知だと思われます。

いわゆるオカルトと科学の立場が逆転している気がします。

風邪を引いて風邪薬を飲むという滑稽さは、確実なオカルトなのに(風邪薬は風邪を治さず、むしろ根本治癒を長引かせます)、でも、みんなそれが「科学のように」思ってきた。

そういう意味から、あくまで、私自身の問題として、「恐怖を取り除く最初の関門は、この西洋的思考から抜け出すこと」だと思った次第です。

そして、真実の科学や医学の感覚を取り戻すこと。

ここで書いたことは、個人的なこととはいえ、日本全体も、そろそろこのあたりに移行してもいい時なのかもしれないなとは少し思います。


ソルフェジオ周波数 528Hz に石灰化した松果体を正常に戻す可能性がある?「隠されたマルコによる福音書」。

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ソルフェジオ周波数 528Hz に石灰化した松果体を正常に戻す可能性がある? あるいはそこから導かれる「隠されたマルコによる福音書」の記述にも励まされ(2015年)。
http://oka-jp.seesaa.net/article/413655086.html

john-lennon-1968▲ ジョン・レノンが 1968年6月6日に BBC のインタビューで「この社会は、狂った目的を実現するために、狂った人間たちによって動かされている」(原文:Our society is run by insane people for insane objectives)と語った場面。



近頃の社会を見て思い出すジョン・レノンの言葉。
最近は、何だか「健康シリーズ」のような感じの記事が続いていて、あまり時事にふれていないのですが、どうも最近のニュースは陰惨というか、暗澹とした気分になるものが多く、ややどよんとした気分に陥りつつある昨今ではあります。

基本的に命への想像力が足りない感じの出来事の数々…。

あるいは、犯罪を起こした当人はもちろんですが、それを責める側にも想像力が足りないような…。
責めるべき本質が違う気がしたり。

何だかこう、「人類全体の知性」が衰えてきているのではないかという雰囲気さえ感じてしまうのは、あるいは、最近書いていたような、汚染による脳や身体の衰退ということと関係しているのではないか、と思ったりもします。

上に唐突に、47年前のジョン・レノンのインタビューなどを載せたくなったのも、そのあたりと関係しているかもしれません。

仮にその時にジョン・レノンが言っていたことが本当ならば、その「狂った目的」というのが何かはわからないですが、そんな世の中になってきているかもしれないなあ、と、やや思わざるを得ない面もあります。

上のインタビューでは、ジョン・レノンは下のようなことも言っていて、残念ながら、非常に近い結果となっています。

john-lennon-002
さて、これらのことと関係するわけではないですが、ちょっと興味深い体験(?)を聞きまして、そのことを書いてみたいと思います。少しでも希望を感じる話になればと思っています。


528Hzで石灰化が改善?
先日の、

私たちを含む多くの人類の松果体はフッ素による石灰化により、すでに「永遠の機能停止」に陥っているかもしれない(2015年02月03日)

では、原因との関係は明確ではないながらも、現代の多くの人々の松果体が加齢と共に石灰化していて、たとえば、アメリカでは過去 17年間で 40%の人たちの松果体が石灰化している推計があるこことなどを書きました(出典は英語版の松果体に関しての Wikipedia の Pineal gland )。

pineal-gland-calcification
▲ 松果体が石灰化、あるいは石化した状況。これは十代の若者。World Poblic Unon より。


松果体というのは、カルシウム、リン、フッ素化合物などを蓄積しやすい場所のようで、自然の状況でも、加齢と共に蓄積量が増えて石灰化していくものではあるようです。ですので、ある程度の年齢の人々の場合、程度に差はあれ、松果体の石灰化が進んでいる可能性もあります。

人間の器官で、石灰化が言われる代表的な部位は「血管」ですが、これは1度石灰化すると、元には戻らない、あるいは元に戻すことは非常に難しいとされています。松果体も多分同じで、1度石灰化すると戻らないものだと思っていました。

そして、アメリカ人の 40%が松果体が石灰化しているなんてのを聞くと、ちょっと「あきらめ」的な感じもあったのですが、松果体の記事を書いた後、お知り合いの方からメールをいただきました。その方は、ソルフェジオに詳しい方です。

ソルフェジオというのは、過去記事、
ジョン・レノンの曲に DNA を修復するといわれるソルフェジオ周波数 528Hz コード「だけ」で作られていたものがあることに気づいた日の少し前に…(2014年08月26日)。
などでふれたことがありますが、「音の周波数」による人の心身への影響や効果によって、治癒のような状態を作り出すと言われていることです。

それでまあ、上にリンクしました記事のタイトルにある 528Hz という周波数は、ソルフェジオでは、
528 Hz・・・DNA の修復
となっていまして、他にも「奇蹟の周波数」とか「変容と無限の可能性」とか、いろいろなことが言われているものです。

それで、そのお知り合いのメールの内容は、うまく説明できないかもしれないですので、そのまま抜粋させていただきます。女性の方です。

「おととし夏の職場の検診で、心臓の弓状動脈だか静脈だかが「石灰化」している、との結果が出まして、「治療はできないので何もしなくて良い」とのコメントが、検診結果の報告書に書かれていたのです。胸の真ん中が締め付けられるような嫌な感じの痛みがあるなとは思っていました。

病院に行ってもダメよ、ということなら、528Hzでやってみようと、音叉をポーンと1回当ててから夜寝るようにしていたんです。そして去年の検診結果には何も書かれていませんでした。そういえば、胸の辺りの嫌な感じもなくなっていました」。


つまり、1年くらいで、心臓の血管の石灰化が「消えたかもしれない」というものでした。これを読んで、私は「うーむ」と唸りました。まあ、石灰化が解消されたことが完全に確認されたかどうかはわからなくとも、1年後の検査で指摘はされなかったということは、解消されていた可能性が高い気がします。

一般的には、体のどの部位でも石灰化した器官を元に戻すということは大変に難しいことで(多分ほとんどの場合では不可能だと思います)、俄には信じがたい面もないではないのですが、しかし、あるいは「 DNA そのものが活躍してくれるのならば、それもまたあり得るのでは……」と思えるような感覚もあります。

そして、ふと思ったのは、
「ソルフェジオで松果体の石灰化も戻せたりする?」
ということでした。

さて、私はどのような行動に出たか。528Hz の音叉を買っちゃったんですね(笑)。これまで、ソルフェジオは、音楽としては聴いていましたが、音叉は持っていなかったのです。

ソルフェジオの音叉は、探してみますと、Amazon でも楽天でも「周波数+音叉」のキーワードで検索すると、たくさん表示されました。たとえば、528Hz の音叉でしたら「528Hz 音叉」で検索しますと、数多く出てきます。ちなみに、私の購入したのは、こちらです。
7152auFA6NL._AC_SL1500_
pineal-gland-calcification
DNA 528hz チューナー 専用ラバーマレットセット(ブランド: RI)。

まだ届いていないですが、届きましたら、さっそく 528Hz の音叉で自分の眉間を強打する(それじゃダメだろ)…まあ、どうするかは決めてないですが、「もしかしたら、血管の石灰化が 528Hzの周波数で改善した可能性がある」というのは何だかビッグな出来事のように思えましたので。それにまあ、リスクがあまりないですからね。

ただ、ソルフェジオのいろいろな周波数を聴いて思ったのは、その時の体調や心理状態によっては、音の周波数の種類によって気分が悪くなったりしたこともありました。そういう場合は「聴くのをやめる」というだけですので、それ以上のリスクはないとは思います。

それにしても、ジョン・レノンが言うように、「この社会はすべて狂った人間たちによって動かされている」というのならば、私たちの方も「逆の方向に狂う」というのもありかな、と。たとえば、「背中にスピーカーを背負って、 528Hz の周波数を大音量で流しながら街を走る」とかもいいかもしれませんね(そうか?)。

こんなに松果体にこだわっているのは、まあ、多分、思い込みにしか過ぎないとは思いますが、先日、「松果体が目と連動して動いている感じ」に気づいたということもあるかもしれません。

いずれにしても、物質が蓄積されやすい松果体は、この化学物質に晒されやすい現代社会での生活の中では、確実にその機能は衰えていってしまっていると思っています。

あるいは、現実に多くの人の松果体が石灰化しているという現実があったり、あるいは、アルツハイマー病の人の多くの松果体が石灰化しているというデータ( Wikipedia )も存在していると、スピリチュアルを越えて、実際の生活や、これからの人生にも関わることのようにも思えるのです。

しかし、これまで私は、「衰退する松果体の状態を正すのは無理」と思っていましたが、あるいは、「単なる音」にその可能性があるのならば、それはそれで希望ではあります。


ビートルズ「マルコによる福音書1」から知ったこと。
ところで、 528Hz に興味を持った理由のひとつには、上の方にもリンクしましたが、ジョン・レノンのビートルズ時代の曲「トゥモロー・ネバー・ノウズ」があったりするわけですが、このトゥモロー・ネバー・ノウズ( Tomorrow never knows / 明日は決して知らない )は、当初のタイトルは、原題で Mark I というものでした。

これは、つまり、「マルコによる福音書1」という意味で、当初はこのタイトルの曲になるはずだったということが、 トゥモロー・ネバー・ノウズ - Wikipedia に書かれています。ですから、当初のタイトルのままだった場合、「マルコによる福音書1 - ビートルズ」という曲として、世に出ていたことになります。

最近の Walk in the Spirits さんの記事で、この新約聖書の「マルコによる福音書」の中に、
「カッコで括られた場所がある」
ことを知りました。

カッコとは、つまり、〔 〕のことで、つまり、その部分は、
聖書の中に「神の言葉かもしれないし、そうではないかもしれない」というようになっている
という曖昧な部分があることを知りました。

正確には、マルコによる福音書の 16章 9節 - 20節の部分です。
日本聖書協会の訳文を例にすれば、下のようにカッコがついています。
mark-16-09

mark-16-20

このことに関しては、「地の果てまで福音」というブログの「どうしてマルコ16章9~20節はカッコでくくられているの?この箇所って本当に神の御言葉と思っていいの?」という記事に詳しく書かれていますが、そこには、
考えてみれば、これはかなり大ごとだと思うのです。ある聖書の箇所がカッコでくくられ、下の方の註欄に、「*異本 9-20節を欠くものがある」と書いてある。ということは、この箇所は、本物の神の言葉かもしれないし、そうじゃないかもしれないということになります。
とあり、この方は徹底的に調べまして、その結果、このマルコによる福音書 16章 9 - 20節は、
導き出される結論として、この箇所は、聖霊によって霊感を受けた御言葉として、マルコの福音書元来の本文中に存在していた
という結論となりました(執念ともいえる、ものすごい量の資料が記されています)。

ということは、この部分は、「聖書から消されようとしていた」という可能性に通じます。とすると、この部分は、「神」と敵対する側からすると、「この部分は特に後に残ってほしくない部分」であったと思われます。それなら、わりと重要なことが書かれている箇所なのではないかなと思った次第でもあります。

マルコによる福音書16章の 17-18節には下のようにあります。
信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。

聖書は、キリスト教の聖典ですが、私のような無信仰者はもう少し拡大して考えることを許していただいて、単に「神」と考えさせていただきますと、「神の存在を信じれば」上のようなしるしが伴うと。
蛇はともかくとして、私たちが現代社会で直面しているのは、まさしく、
「毒(汚染物質)と病気」
でありまして、これらが無害化するというのなら、それは確かに素晴らしいことですが。

ただ神を信じるだけで、それが起きるかどうかは何ともわからないですが、今回のことは、
・528Hzでの回復
 ↓
・ジョン・レノン
 ↓
・トゥモーロー・ネバー・ノウズの当初のタイトルは「マルコによる福音書1」
 ↓
・隠されたマルコによる福音書の箇所
 ↓
・毒と病気
 ↓
・528Hzに戻る

というようなループに近い輪廻の中で見出したもののようにも思います。

ソルフェジオに関しては、お医者さんとか、あるいは医療資格を持つ方で、医学的に調査してみる気になる人が出てくるといいと思います。感覚的なままでは、どこまでも曖昧に進行していって、広がりを見せないままのオカルトで終わる可能性がありますし。

松果体の石灰化や、ガンの増加が止まらないほうは、感覚の問題ではなく、事実ですので、その事実に「対抗し得る事実」があれば、仮に、現代の社会が冒頭のジョン・レノンの言葉のような世界であったとしても、何とかやっていけるのではないでしょうかね。

神は神として、とりあえず私たち人間には自主的に考えることができる脳があります。しかし、仮に、脳が退化し続けたとした場合……いくら立派な計算ができたとしても、感情や想像力や創造力のない脳を持つものは、人間ではなく、それはロボットのようなものです。

この社会が、そんな「ロボット人間」ばかりになったとすれば、それは狂った社会ではあります。
すでに、ややそんな感じがして仕方ないのですけれど。


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