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「デジタル奴隷制」の始まり。(2020年12月15日)。
まだ生き続ける人たちのこれからの生き方。
昨日、夕食の時に子ども(15歳)と何となく話していた懸念と同じ内容の概念を今朝、ネット上に載っていた記事で目にしました。

子どもと話していたのは、おおむね以下のような感じのことです。

    私「おとうさんは、空気に乗って生きてきたような相当いい加減な生き方だったけど、これからはそういう生き方は厳しいと思う」

    子「そうかな」

    私「社会の枠組みが信じられないほど階級的になっていくと思うから、社会に残るならどんなジャンルでも階級の上を目指すなりしなければ、生きていくのは難しくなると思うし、あるいは社会から完全に離脱するなら、その方法を真剣に考えていかないと大変そう」

    子「そんなに極端なことにはならないよ」

    私「そうだといいんだけれど。『ピアノ売ってちょーだい』みたいな感じで誰でも生きられるといいんだけど」

    子「そんな生き方で生きていける人は今も昔もいないよ」

    私「おとーさん、そうだったから」


そして今朝「ビートたけしが「人生最後の夢は、独裁者になること」と断言する「深いワケ」」という見出しの記事を見ました。

これは結局、これから出る新刊の宣伝ページだったんですけれど、そのビートたけしさんの『弔辞』という本の内容が紹介されていまして、「自分はファジーな状態で生きてきましたが」として、次のように書かれていました。

ビートたけし『弔辞』より。
    これからを生きる皆さん。皆さんは大変な時代を生きることになります。ITだのAIだのが進化して、個人情報が無作為に氾濫する一方で、ごく一部の人間が全体を牛耳るような社会になる。待っているのは奴隷制かもしれません。そうなると、私のようにいい加減に、ファジーに生きていくのは難しくなるでしょう。
    情報を疑えとか言いますが、マジでその感覚を持たないと大変なことになります。


ここにあります「ごく一部の人間が全体を牛耳るような社会になる」というのは、ある程度そのような方向に進んでいるわけですけれど、
> 待っているのは奴隷制かもしれません。
というフレーズに、「ああそうか」と思いました。

現在の疾病対策が独裁的あるいは全体主義的であることは、特に欧米では非常に明確に示されていますが、「奴隷制」という言葉が頭に浮かんだことはありませんでした。

最近、電車に乗った際に見た光景……私はもともと電車で座るのが嫌いな人で、いつもドアのところに立つのですけれど、ずっと外の景色を見ていて、ふと車内を見たときに、その異様な光景に圧倒されました。

それは、
・ほぼ 100%がマスクをしている
・ほぼ 90%がスマートフォンを見ている
という光景でした。

つまり、満席の電車のそこにいるほぼ全員が「マスクをして下を向きスマートフォンの画面を見ている」のでした。今では当たり前の光景なのかもしれないですが、ほとんど電車に乗ることがない生活をしているので、少し驚いたのでした。

以前、アメリカのステファン・ギーズという作家の方のウェブサイトで「脳が Facebook に抵抗できない理由:デジタル奴隷制と自由の扱い方」という記事を見かけたことがあります。この内容全体はともかくとして、「本来は自由と創造性にあふれている人々がソーシャルネットにより自由と創造性を奪われている」というようなことが書かれていまして、まあ確かに、日本でもツイッターとかインスタグラムとか、そういうようなソーシャルネットにつきっきりという人は多いようで、「それがなければ、考える時間もあるだろうし、行動する自由もあるだろうに」というように思うことはあります。


先ほどのビートたけしさんの文章には以下のようにも書かれていました。
ビートたけし『弔辞』より。
    時代が進化しても、結局、人間は本質ではなく、見た目や外見で物事を判断してしまいがちです。中身や実用性や耐久性なんかよりも、結局ブランドがいちばん重要という、ますますそんな時代になってジャンジャン人間の自由を奪っていますが、人間はそういう枠に入り込みたい生き物です。
    厄介なのは「人間は集団の中にいないと不安で仕方がない生き物」だということです。だから、スマホは危険だなんて悪口を言っておきながら、みんなスマホを持っているし、アマゾンとかも便利だから使い続ける。
    つまり、こうした人間の特性に気がついたごく一部の人間が勝ち組となり、彼ら一部の人間が作ったルールの中で、俺たちは生かされているのです。


> こうした人間の特性に気がついたごく一部の人間
たちが、それをさらに推し進めようとしていることとしては、現在の特に欧米での厳しい自粛やロックダウンやリモート化の中で、スマートフォンの需要や「依存」もアマゾンの需要も以前よりはるかに増加していることなどにも現れています。そして、そこから離れることができなくしてしまう。

私自身は、スマートフォンを持たないですし、SNS もまったくしていませんが、20年以上前、まだインターネットでのコミュニケーションツールが BBS とか掲示板とか呼ばれていた時代には自分でもやっていて、「オンラインのコミュニケーションは利益より被害が多い」ことに気づき、それ以来ネットでのコミュニケーションには基本的に関わらないようにしています。

最近も知り合いからズームというものでのオンライン飲み会? みたいなものに誘われましたけれど、そういうのも断っています。そもそもズームを知りません。

しかし、現在は「リアルでの人との接触」が、なかば強制的に削減されている社会となり、多くの人がオンラインでのコミュニケーションの部分が増加していると思われ、そしてたとえば、以下の記事で書きました「グレートリセット」計画では、現在どころではない「人とのリアルでの接触の回避」が目指されています。

巨大な太陽フレアが「グレートリセット計画をリセットする日」。(2020年12月1日)。


世界経済フォーラムが発行した「コロナ後の世界」についての文書には、2030年までの目標として以下のようなことが説明されています。
    ・デジタル化された作業プロセスの加速。すべての作業プロセスの84%がデジタル、または仮想/ビデオ会議となる。

    ・約83%の人がリモートで作業するようになることが計画されている。「絶対的な社会的距離」と「人と人との接触の分離」を行う。


あるいは、学校のリモート化も、感染症の状況によっては国や地域によっては恒久的にしていく場合もあるかもしれません。


奴隷化の方法論が確立したのは。
先週のメルマガ『ヒトラーの方法論が適用されているパンデミックの中で、そのワクチンに「大量の不妊」と「大量死」を生み出す懸念』という記事では、アドルフ・ヒトラーの『我が闘争』に見られる、
「全体主義化の方法論」を取り上げました。

以下は、我が闘争の記述そのものではないですが、おおむねナチスでは以下のように「するべき」だとされていました。

ヒトラーによる国民支配に関するナチスの理念。
十分に大きな嘘をついて、それを繰り返し続けると、やがて人々はそれを信じるようになる。
真実は嘘の致命的な敵であり、ひいては、真実は国家の最大の敵であるため、国家が大衆の異議を抑圧するためにすべての力を使用することが極めて重要となる。


そして、我が闘争でヒトラーは「そのウソは大きくて単純でなければならない」としています。
「大きなウソ」を絶対に曲げずに主張し続けていくうちに、多くの国民がそれを確信するようになる。

そのメルマガでは、アメリカの作家で投機家のダグ・ケイシーという人の記事を載せたのですが、現代のアメリカとヨーロッパで、「ナチスの概念そのもので国民を支配しようとしている」と書かれてあり、その過程を以下のように説明しています。
    1. 業界と政治の両方で高い地位にある人々の超階級を作る。
    2. 中産階級を経済的に不自由にし、彼らが自分たちの人生の決定を下す力をもはや持たないようにする。
    3. 国家によって引き起こされた経済的困難からの救済として、国家への依存度を劇的に増加させる。
    4. 国家からの大規模な約束と引き換えに、自由を剥奪する。
    5. 新しいパラダイムが持続することを確実にするために、警察国家と全体主義の規則を制定する。
    6. 大衆が新しいシステムに依存するようになったら、約束された資格の削除を開始する。
    7. 人々が国家に完全に依存すると、資格が削除された場合、反逆する力を失い、彼らは完全に支配される。