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本書は最新のDNA研究を軸に「新しい日本ユダヤ同祖論」を展開するもので、古代イスラエル人はどのような経路と歴史をたどって東へ進み、日本にまで到達したのか、そして日本に何をもたらしたのか、日本人とは、日本の文化伝統とは何か、本書は文化考察を加えながらその解明を目指している。これは古代日本史・古代イスラエル/ユダヤ史ファン待望の必読の本であり、手元に置いておきたい1冊のバイブル本である。

著者の久保有政氏はレムナント出版代表で、サイエンス・ライター、ユダヤ文化研究家、聖書解説家として活躍中であり、レムナント出版(キリスト教書籍・雑誌)のブログは参考になり必見である。http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/yomu.htm
 
本書は興味深い古代日本史・古代イスラエル/ユダヤ史関連の情報満載であるが、最も関心のある「古代天皇家と古代北イスラエル国王家エフライム族に関するまとめ」を下記に示すので、今後の購読者の参考にしてもらえれば幸いです。

古代日本に北イスラエル国王家エフライム族が渡来して古代天皇家になった証拠
(1)旧約聖書と日本神話の類似性
日本の神話におけるニニギ尊からウガヤフキアエズ尊、神武天皇に至る系図は、旧約聖書におけるヤコブ、エフライム、ヨシュアに至る系図に物語の骨子が瓜ふたつである。  

(2)キルギス人の伝説
中央アジアのキルギス人に「マナス叙事詩」があり、キルギス人はマナセ族の子孫であることを示している。その伝説によれば、昔ふたりの兄弟がいて、ひとりは山の方へ行ってキルギス人の先祖となり、もうひとりは海の方へ行って日本人の先祖になった、つまり、キルギス人と日本人は兄弟という。

この伝説は日本にある「山幸彦・海幸彦」によく似ており、双方の起源は同じで、両民族の先祖は繋がっている。 ヨセフの息子はマナセとエフライムであり、キルギス人がマナセの子孫ならば、そこから分かれた日本人の先祖となった兄弟はエフライムであり、エフライム族が日本にやってきたことになる。

(3)神武天皇の和風諡号はエフライム族出自の証明
神武天皇の和風諡号「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」であるが、ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグ氏によると、これはヘブル・アラム語で、すこしの訛りを考慮すれば、「カム・ヤマトウ・イヴリ・ベコ・シュメロン・マクト」と発音され、その意味は、「サマリアの王、ヤハウエのヘブル民族の高尚な創設者」あるいは「ヤマトの創始者はヘブル人であり、その王国サマリアから渡来した」である。サマリアとは北イスラエル王国のことで、サマリアの王とはエフライム族の王家である。つまり、神武天皇は北王国イスラエル=サマリアから渡来した王家のヘブライ人であり、日本の天皇家はエフライム族の王統を継いだものということになる。

(4)天皇家のシンボル「獅子とユニコーン」
ユニコーンは頭に角がひとつある動物で、架空の動物、想像上の動物だが、日本の皇室に古くから伝わっている。京都御所の清涼殿にある天皇の座の前には獅子とユニコーンの像があり、天皇の即位式に使われる高御座にもユニコーンのデザインがある。 

また昔、天皇が使った王冠にもユニコーンの図柄があった。麒麟と獅子が盾を左右から支え、その盾の上に王冠がのっている図柄になっています。

ノーマン・マックレオド著「日本古代史の縮図」では、この麒麟を一角獣のユニコーンと捉え、ユニコーンが北イスラエル王国の王家の属するエフライム部族の紋章・シンボル、そして、獅子が南ユダ王国の王家の属するユダ族の紋章・シンボルであることから、この図柄を「イスラエルとユダの統一紋章」と解しました。

・天皇の冠に、イスラエルの(ヨセフの)紋章ユニコーンが見られる。
ユニコーンの起源は古代イスラエルにあり、もともとエフライム族とマナセ族が属するヨセフ族の紋章、シンボルだったのである。ヨセフの末子相続人のエフライムがこの紋章を引き継いでいる。
・天皇の冠は獅子とユニコーンが盾を左右から支えている図柄で、「イスラエルとユダの統一紋章」である。その中央上部は天皇の冠でユニコーンが描かれている。 
・王冠の下には十六菊花紋と12頭の獅子がいる(10個の獅子と2個の獅子)。 
これはイスラエル12部族に由来する。
・京都御所の清涼殿にある天皇の座の左右に獅子とユニコーンがあった。
・天皇即位式に使われる「高御座」にユニコーンのデザインがある。
・古代の京都御所の門には、10頭の獅子、2頭の子獅子、統一イスラエルの紋章、雄獅子、雌獅子、ユニーコーンが門に描かれていた。また、雌牛バアル(金の子牛)の2つの像が見えるが、これらは疫病が発生したときに、それを遠ざけるために置かれたものである。現在は焼失して存在していないが、西本願寺の唐門が似ていると言われている。

獅子とユニコーンが盾を左右から支え、その盾の上に王冠がのっている天皇の王冠「イスラエルとユダの統一紋章」は、古代日本に古代北イスラエル王家エフライム族が渡来し、その後に秦氏等のダビデの血をひくユダ族が渡来してイスラエルとユダ統一の天皇家になった物的証拠であり、今も皇室に保管されていると思われる。
 
私見だが、平安京遷都した桓武天皇以降の天皇家はイスラエルとユダの統一王家であり、平安時代以降の日本は古代イスラエル統一王国(ソロモン王・ダビデ王)の再興ではないかと思われる。
 
なぜならば、歴代天皇で桓武天皇のみ煌びやかな衣装と王冠の肖像画、桓武天皇は平安京遷都に際し、イスラエル人が一貫して行っていた「旧約聖書」の「創世記」から登場する儀式の燔祭(ハンサイ;主に羊などの動物を祭壇で灰になるまで焼いて神に捧げる儀式)を行い、更に、エルサレムはヘブル語で「平安な都」の意味、つまり平安京である。
 
あるブログによれば、実は、このユダヤ教の燔祭を、かのソロモン王が行っているのだ。しかも、エルサレム城とソロモン神殿が完成したときに、である。
「王はすべての民と共に主の御前にいけにえをささげた。ソロモン王は牛二万二千頭、羊二万二千匹をささげた」(「列王記・下」第7章4節)
 
数は別にして、まったく同じである。桓武天皇と行った儀式は同じである。城の完成の記念として行われた儀式という性格もまったく同じだ。
 
秦氏は原始キリスト教徒エルサレム教団の南朝ユダ族で、この日本にエルサレム城=平安京を建設しようとしたのだ。だからこそ、あれほどまでに躍起になったのだ。一族をあげて、なんの見返りも期待せずに、あれほどの巨大事業を行ったのは、まさしく神聖な信仰からくるものだったからなのだ。しかし、平安京が日本のエルサレム城だとすると、どうしても腑に落ちないことが、ひとつだけある。平安京とは宮都である。秦氏の都ではない。秦氏が建設したのには違いないが、秦氏の首長「太秦」のための都ではない。あくまでも天皇の都である。当時であれば、桓武天皇のために建設された都なのだ。
 
ところで、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されおり、日本の公式記録によって皇室に百済の血が入っていることが確認できている。

中丸薫著「古代天皇家と日本正史」によれば、飛鳥~奈良時代の天皇はすべて百済・新羅系天皇で、桓武天皇祖父の天智天皇は百済・武王の王子と主張している。

この場合は現天皇家始祖の百済・武王出自が問題であるが、高句麗の東明聖王(朱蒙;扶余氏)次男の百済初代温祚(オンソ)に繋がれば、扶余族~北イスラエル王国王家エフライム族出自となり、神武天皇の古代天皇家と同じ出自になる。

従って、桓武天皇の時またはその前に、ダビデの血をひくユダ族の秦氏の血が天皇家に入ってイスラエルとユダの統一王家が実現したので、秦氏は古代イスラエル統一王国(ソロモン王・ダビデ王)の再興であるエルサレム城の平安京建設と、ソロモン第3神殿の伊勢神宮建設に邁進したと思われる。つまり、平安京、特に京都御所は、古代イスラエル統一王国(ソロモン王・ダビデ王)の再興の証であるエルサレム城であり、伊勢神宮はソロモン第3神殿である。ちなみに、伊勢神宮の内宮には新約聖書のイエス・キリスト、外宮には旧約聖書の唯一神ヤハウエが祀られている。

そして、この時に、イスラエルとユダの統一王家実現を記念して、獅子とユニコーンが盾を左右から支え、その盾の上に王冠がのっている天皇の王冠「イスラエルとユダの統一紋章」が製作されたと思われる。

日本の神社には入り口の左右に狛犬があり、今は左右両方とも「狛犬」と呼んでいるが、本来は右側を「獅子」、左側を「狛犬」、すなわち「獅子とユニコーン」である。

ユニコーンの起源は古代イスラエルにあり、もともとエフライム族とマナセ族が属するヨセフ族の紋章、シンボルだったのである。 神社の狛犬は必ず「阿吽」の形になっており、一方は口を開け「阿」、一方は口を閉じている「吽」。この阿吽は、元来へブル語やギリシア語の「アーメン」の意味である。また阿吽は、日本語の「あ」「ん」に相当し、最初と最後の文字である。

神社の狛犬のうち、「あ、阿」は獅子(ユダ族)であり、「ん、吽」はユニコーン(エフライム族)で、歴史はユダ族に始まり、エフライム族の回復によって終結するので、終わりの日に両族はひとつとなる。 エフライム族のシンボルはユニコーンで、東北アジアで頭に角のある動物は「鹿」しかいないので、「エフライム族の末裔の扶余族は鹿をトーテムとした」のではないかと思われる。

(5)Y染色体DNAのD2系統の多い日本本土・琉球とチベット近辺にのみ、それぞれエフライム、マナセとしての古代ユダヤの伝統が受け継がれている。
Y染色体DNAのD2系統を持ち、なおかつ、ユダヤ文化の独自性を持った大きなグループが、短期間で東の方へ移動して、朝鮮半島から日本に入って住みついた、としか考えようがない。このD2系統には、特徴的な変異:「YAP」(ヤップ)とよばれる挿入部分(300塩基)をもち、これは D、E系統のみに含まれ、他には存在しない。 12部族のうちのエフライムとマナセだけがYAPなどの挿入部をもつD系統であり、現在、エフライムを自称する民族は多いので、神様は、この特別な変異のしるしをエフライムとマナセだけに与えたのではないだろうか? ヨセフ族、エフライム族にはリバイバルにかかわる特別な祝福が預言されている。
XY(ヨセフ)+ XX (YAP)(DE *:アセナテ)→ XYYAP(D:マナセ、エフライム)

(6)エフライム族末裔の夫余族の「夫余はヘブル=フル」のヘブライの意味
・大和民族となる前の呼び名のシウク、またはシウクシクは震えのことである。扶余のフヨ、またはプヨとはシウクと同じ意味のフルエ、またはフルからきている説がある。

シウクが大和王朝や大和民族の古い呼び名なのかというと、それは朝鮮半島にあった騎馬民族の辰王朝が、わが国に渡って来たという説によっている。辰国の本当の名称はシウクであって、その王朝はシウクシと言った。意味はふるえる、または、ゆらゆらと言うことであるらしい。それを中国風にあらわしたものが辰国なのである。つまり、辰国の名称と大和民族となる前の呼び名は同じシウク、またはシウクシクである。その後、辰王朝は九州へ渡ったが、残った分家と同系部族がまとまって作ったのが百済となった馬韓である。辰国のもう一つの跡地に、百済とは別に、百済から分かれた氏族と、秦の亡命貴族との合体によって作られたのが新羅である。
・扶余(フヨ)はツングース語で鹿(プヨ)の意味としているが、これはずばり、ヘブライ人によくある名前のフルからきているのかもしれない。
・北イスラエル王国エフライム王家の紋章は一角獣(ユニコーン)であり、北東アジアで角のある鹿が選ばれ、鹿(プヨ)=扶余(フヨ)となったのではないかと思われる。
・高句麗の東明聖王(朱蒙;扶余氏)の長男沸流(フル=ヘブル)の子孫が出雲に渡来してスサノオノミコトが出雲国を建国した。
・スサノオノミコトの父は(フツ)、スサノオノミコトは(フツシ)、ニギハヤヒミコト(フル=ヘブル)として石上神宮に祭られていることから、スサノオノミコトの出雲国とスサノオノミコト5子のニギハヤヒミコト建国の大和・出雲国は、エフライム族末裔による古代北イスラエル王国再興であり、この大和・出雲国の末子相続人イスケヨリヒメに邪馬台国女王卑弥呼孫の磐余彦尊が婿入りして大和・出雲国と邪馬台国が統合した「大和朝廷」が成立し、磐余彦尊が「神武天皇」即位している。そうすると、「神武天皇」の和風諡号の意味が理解できる。
 
つまり、スサノオノミコトは高句麗の東明聖王(朱蒙;扶余氏)→満州の北扶余国王 解慕漱(ヘモス)・解夫婁(ヘブル)→古代北イスラエル王国王家エフライム族に繋がるが、神武天皇の和風諡号「神日本磐余彦天皇(カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト)」は、ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーク氏によると、これはヘブル・アラム語で「カム・ヤマトウ・イベリ・ペコ・シュメロン・マクト」と聞こえ、これは「サマリアの王、ヤハウエ神のヘブライ民族の高尚な創設者」を意味し、サマリアは北イスラエル王国のことで、サマリアの王とはエフライム族の王家のことなので、初代神武天皇の古代天皇家は古代北イスラエル王国王家エフライム族出自であり、古代大和朝廷は古代北イスラエル王国再興であることを証明している。

(7)万世一系の天皇家は世界で最も長く続いている王家
聖書預言によれば、今もエフライム王室が古代から絶えることなく世界のどこかで存在していることであり、それに当てはまるのは日本の皇室しかない。
北朝正統論の立場でいうと、「北王国が正統なのは実は議論するまでもなく明白なのです。
 
仮に聖書の記述を信ずるならば、イスラエル=ヤコブの嫡子ヨセフの嫡子エフライムと続く正系、嫡流が聖書に明記されているから。だからこそ北王国が「イスラエル」と呼ばれたのです。

ユダ王国などは建て前上、反乱勢力にすぎない。失われた10部族=北王国の方が正統であり、この「失われた10部族」がそろわない限り南王国の子孫にすぎないユダヤ人が「イスラエル」を自称することは本来まちがっているのです。
 
イスラエルによる「エフライムの、その子孫は、多くの国民となる」という預言は当たらなかったのだろうか。 いや、エフライム王家の血統である天皇家を擁く日本民族はその預言を実現している!
 


この関係の本の中でも、一番よくまとまっていると思います。
同じアジア圏にありながら、中国や朝鮮半島の考えと日本の考え方がなぜ違っているか、よい指摘をしていただいていると思います。


先端の文明と文化を駆使しながら、日本人の漠然とした自信のなさ(西洋文化に対しての卑屈さ)の根底には、自分の国の原点(国の起こり、はじまり)に戻りにくい、原点についてあやふやだということがあるように思います。タイムマシーンのない限り確かめられないことではありますが、一つの仮説として、また、日本文化に遺されている状況証拠はこの本の内容が真実に近いことを示唆しているのではないでしょうか。


日本人とユダヤ人は同じDNAを持つといわれる。では日本人はどこから来たのか。その経路をたどると古代イスラエルに行きつく。
一例として古代イスラエル人の末裔である東方キリスト教徒である秦氏の存在である。秦氏の日本への渡来は、古くは今から約1800年前後とされる。
キリスト教としては定着しなかったが、神道、仏教などの遺跡、遺物の中にその形跡がみられるという。文字の定まっていなかった時代のことではあるが深く興味は注がれると思う。


この本は、遺伝子の調査により、日本とユダヤの民族が同一だということを科学的に証明しているということで、大変価値ある書で、日ユ同祖論の決定版だと思います。良い本に巡り合いました。日本の文化、神道、古代史だけでなく、遺伝子の調査により、日ユ同祖論に深く納得しました。聖書を読みながら、ユダヤ人と日本人の特質が共通していることに、驚きつつも「なるほど」と思わされることがあります。旧約時代のユダヤ人の識字率の高さ、職人の細かい作業を得意とするところ、几帳面さ、清潔さなどは、かなり似ていると思います。本を手に入れて、一気に読んでしまいました。日本人なら、ぜひ読んで欲しいと思います。


戦後、古事記、日本書記研究が解禁になって以来、多くの研究者が日本の古代史を研究、その成果の多くが1900年代から出版されるようになっています。そうした本はテーマや視点や著者の判断などにより、様々な主張があって、読者に混乱を与えている感があります。そうした中、この本は、著者の従来の研究や他の研究者の主張も採り入れながら、DNAという動かぬ証拠を基に、それらの集大成のような内容になっていると思います。日本人のルーツがイスラエル民族にあったこと、日本の文化や神社、神道は、イスラエルから渡来してきた人々によってつくられてきたこと、仏教や多くの新興宗教にも、イスラエル民族の基盤である聖書の教えや行事などが採り入れられていることなどを知り、目からうろこならぬ鉄板がボロボロ落ちました。
神道信者も仏教徒も新興宗教徒も無神論者も無関心派も、日本人であれば、自分たちのルーツ・基盤を知る最高の書だと思いました。


この本の内容で、Y染色体鑑定(父系のルーツを調べる。つまりY染色体は男性しか持っていない)によると日本人の半分くらいはユダヤ系(失われた10支族。ユダヤは12支族よりなり、10支族は行方不明とされ、残りの2支族はスファラディユダヤと称され、その多くはイスラエルに帰還している)、残りの半分は中国・朝鮮系という結果は私には特に新しい事実ではない。

問題はユダヤ陰謀説(故大田竜などの)でユダヤ人と言われているが実はユダヤ人ではなく、ユダヤ教に改宗したカザール人であるとされたアシュケナージユダヤ(白人)たちが鑑定の結果ユダヤ系であることは今までどうかなぁ〜と思っていたが、新事実であった。

これで聖書黙示録にあるユダヤ人と言われているがユダヤ人でない人とは、アシュケナージユダヤのどれくらいの割合を占めるかわからないのであるが、タルムードという恐ろしい教典を信じる者と言えると思った次第。何故ユダヤ人の血をひくのにユダヤ人でないかというと、真のユダヤ教を信じていないからである。ユダヤ人は昔から異邦人でもユダヤ教に改宗した者はユダヤ人とみなしていたようであるから、逆にそういうことも言えると思うのである。

あとは秦氏が弥生時代に渡来したキリスト教系ユダヤ人(やはり失われた10支族系)、つまり中央アジアの弓月から中国に行き、そこで景教(キリスト教)を信じ労役に耐えかねて、新羅経由で渡来し、もともと渡来していたユダヤ人のユダヤ教的古神道をキリスト教系のユダヤ教的(キリスト自体自分は正真正銘のユダヤ教徒と思っていた)神社神道を確立したということが大分はっきりした。

日本の文化に残るユダヤ的なものの数々はまあ、そういうことなら当たり前だし、今まで読んできた類書と事実的には新しいことは少ない。

出版前に予約を入れて読むのを楽しみにしていたが、今日ようやく読み終わった次第。この方面に詳しくない人は公平に淡々と書かれているし、一読をおすすめする。日本人のルーツのようなものが目から鱗が取れるように明らかになると思う。


DNAでわかった 日本人とユダヤ人の親戚関係 久保有政
https://ynisj.blog.jp/archives/7647589.html