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日本史上、最も重大な出来事。
https://ameblo.jp/gerbera-it/entry-12693388620.html
「日本史上、最も重大な出来事」というと、何が思い浮かぶでしょうか?

日本史では、縄文時代は遺跡があるだけで文字記録はありませんから、本格的な「日本史」は弥生時代から始まっています。そのあと大きくは、古墳時代、奈良時代、平安時代、鎌倉・室町・江戸の武士の時代、そして明治以降の近現代ということになります。

その間に起こった大事件というと、時代の主体となる階層の移り変わりに関わるものかと思います。天皇・豪族→貴族→武士→人民といった推移があり、そこに重大な事件が起こりました。大化の改新だとか、源平の戦いだとか、明治維新などでしょうか。

ここで「文字記録」にこだわらずに、日本人の暮らしそのものの移り変わりを縄文時代までを入れて考えて見ると、様相が変わってきます。

まず縄文時代が1万2千年以上続いたのに対して、弥生時代から現代まではせいぜい3千年です。圧倒的に縄文時代のほうが長く、日本人の民族としての形成には重要ということになります。また、その暮らしぶりや生き方・考え方にはとても大きな違いがあります。

縄文人は調和して平和に暮らし、戦いをした痕跡がないそうです。それに対して弥生時代以降は、戦いの連続で覇権争いの歴史です。躍動感あふれる縄文土器を見ると、縄文人は豊かな内面世界を持っていたようですが、弥生土器は平板で、縄文人と比べると弥生人の内面世界は生気に乏しい感じがします。見事に真反対の文化です。長い日本人の歴史から見ると、弥生時代以降はどれも皆同じ文化、生き方・考え方です。「戦争と競争」の社会です。

ですから、縄文時代も考慮に入れた場合、日本史上の最も重大な変化は、「縄文から弥生への移行」で間違いないでしょう。これに比べたら弥生以降の大事件といっても、単なる権力闘争に過ぎません。

どうしてこんな大変化が起きたのでしょうか?平和な暮らしの縄文時代から、弥生から現代まで続く戦争まみれの社会へと。これだけ変わるには外からの影響があったはずです。それなくして、内部要因だけでこんなに変わることはあり得ません。

では、何が原因でこんなに大きく変わってしまったのでしょう?巨大隕石が地球に衝突して恐竜が絶滅したという説があります。縄文時代を終わらせた「巨大隕石」は何だったのか?

その巨大隕石にあたるのが、「渡来人」です。この渡来人「隕石」は、縄文日本人を絶滅させはしませんでしたが、弥生人へと「変質」させてしまいました。(純粋な縄文人はいなくなってしまうので、厳密に言えば、「縄文人を絶滅させた」が正しいですね)。

縄文人は渡来人と混血し、中身が変わってしまいました。弥生人になりました。単純に、縄文人+渡来人=弥生人、です。そして、渡来人の方が繁殖力が旺盛なのでしょう。渡来人の方の血がどんどん濃くなっていき、どんどん縄文人の性質が薄くなっていきました。

その結果が弥生人ですが、まず外貌が大きく変わりました。彫りの深い縄文顔から、のっぺりした弥生顔になってしまいました。全然、「別の人種」ですね。これは個人的な感想ですが、かえすがえすも残念なところです。「渡来人が来なけりゃ、彫りの深い顔のままだったのに!」と以前書いたとおりです。

外面が大きく変わりましたが、内面はもっと大きな変化が起こりました。それが先の「調和の縄文から争いの弥生へ」です。「躍動感あふれる縄文土器を作る人たちから、平板な弥生土器しか作れない生気のない人たちへ」。天国から修羅の地上に落とされたようなものです。この外面・内面の大きな変化を促したのが、渡来人の中にある「東アジア人の血」だと思います。韓国人や中国人の血ですね。

ですから最初の質問、日本史上最も重大な出来事は何か、その答えは「縄文後期に渡来人がやって来て混血し、縄文人が弥生人になったこと」であろうと思います。

大変化をもたらした巨大隕石・渡来人ですが、意外な事実が2つありますので、それを次回見てみようと思います。


巨大隕石・渡来人の意外な事実。
https://ameblo.jp/gerbera-it/entry-12694173081.html
前回、渡来人を「恐竜を絶滅させた巨大隕石」に例えました。「ちょっと大げさかな」とも思いましたが、あらためて考えると決して大げさでも何でもないと感じます。何しろ、日本人の中身が180度ひっくり返ってしまったのですから。縄文人が事実上、絶滅してしまったからです。日本人の本質に関わる超弩級の大事件です。

ところで、その巨大隕石・渡来人には意外な事実が2つあります。

まず第一が、朝鮮半島から来た渡来人の祖先は、実は、縄文人だったことです。

日本列島周辺の言語、日本語とアイヌ語と朝鮮語と、サハリン(樺太)先住民の言語であるニヴフ語の4つは、大きな言語グループに属していない孤立したグループであり、お互いに共通点を持っているファミリーだそうです。同じ系統の言語を話すということは、もともとが同じ民族だった可能性があります。共通の祖先が、縄文人だった可能性です。

そして、このことは遺伝子学の調査で証明されました。
『朝鮮半島南部の5000年ほど前の遺跡から出土した人骨のDNAも解析して、縄文人ゲノムが現代日本人と同じぐらいの割合で含まれていることを見出した。このことは、いわゆる縄文人のひろがりが、日本列島だけでなく、朝鮮半島にもあったことを物語っている』。(斎藤成也ほか著 宝島社新書 『大論争 日本人の起源』第一刷27~28ページ 紛らわしい一部の単語は入れ替えています)。

縄文人が海を越えて、朝鮮半島やサハリン(樺太)にも住んでいたということです。そして、韓国人というのは祖先が縄文人であり、その後に大陸人と混血した人たちです。ですから、朝鮮半島から来た渡来人は、当時の縄文人とは親類だったのです。朝鮮半島から、先祖の本拠地・日本列島に戻ってきたことになります。「里帰り」だったのです。

そして意外な事実の2つ目は、「渡来人は一度だけではなく、2回来た」ことです。

ヒトゲノムが2004年に解読されてから遺伝子学は飛躍的に進歩し、渡来人の歴史が明らかになってきました。それによると、渡来人は2回に分けてやって来て、少し性質は異なっていたようです。

第一回目の渡来は約4,500年前だそうです。
『9000年ほど前に揚子江流域で水田稲作が発明されると、水田稲作の拡大とともに、東アジアでは稲作農耕民が爆発的に人口増加を起こした。このため、大陸沿岸の漁業を中心としていた「海の民」が圧迫されて、新天地を求めて日本列島に移り住んできた。およそ4500年前以降だと想像される。
かれらは採集狩猟民だったが、それまで日本列島に住んできた縄文人とは遺伝的にかなり異なっていた。
・・・
およそ3000年前には、水田稲作が九州北部を出発点として日本列島に渡来した。この弥生時代の始まりをもたらしたのが、渡来人第二波である。すでに日本列島に渡来していた渡来人第一波と遺伝的に近縁な人々だった』。(同上 29~30ページ) 

第一波が来たあと、1500年経ってから第二波渡来人が来て、弥生時代が始まります。
整理すると、
約4500年前:渡来人第一波。
約3000年前:渡来人第二波⇒弥生時代の始まり。

ですから、第一波の人たちは弥生時代を準備したと言えるでしょう。縄文人と混血して、自分たちの中にある「大陸人」の血を縄文人たちの中に広めていきました。しかし、まだまだ縄文人の血が多かったのでしょう、「郷に入らば郷に従え」で縄文人になじんで溶け込んでいこうとして、同化していったのだと思います。先祖返りをしたとも言えそうです。

それに対して第二波の人たちは、第一波の人たちより1500年後です。その間に大陸人の血が濃くなり、ほとんど大陸人になりきっていたのではないでしょうか。1500年というと大変な時間です。それで、日本列島に来たら現地人に顧慮することなく、征服・支配して自分たちのやり方を通していったのだと思います。

こうして本格的に弥生時代が始まり、それ以降現代まで基本的には同じ文明です。大陸文明を日本人に浸透させていきました。それから3000年後が現代です。この3000年という時間も長いです。縄文人の血はどんどん薄くなり、彫りの深い顔はのっぺり顔となり、韓国人や中国人とほとんど同じような顔になりました。われわれには微妙な違いがわかりますが、欧米人などから見ると区別がつかないようです。考え方も表面的には大陸人と同じになりました。唯物思想になり、戦争もたくさんして最後は負けて世界政権の支配下に入り、民主主義を受け入れて、資本主義の優等生になりました。

結論として、渡来人がやって来たことにより縄文時代の平和で霊性の高い暮らしから、大陸人と同じ、物欲・金銭欲・権力欲などに動かされる生活に変わりました。悟りの境地から煩悩まみれの人間になったかのようです。レベル的には、相当落ちました。

でも、それで良かったと思っています。さらに言えば、「渡来人が来てくれて良かった!」とも考えています。そのことについて次回考察したいと思います。

 
渡来人が来てくれて良かった!?
前々回と前回の要約: 「渡来人がやって来て縄文人は、渡来人と混血して弥生人になり、天国から修羅の地上に落とされた。しかし意外にも、その渡来人の遠い祖先は同じ縄文人であり、親類だった。その遠い親類が2度やって来て日本列島で主導権を握り、弥生時代をもたらし現代に続いている」。

そして最後に、縄文人は平和で霊性の高い暮らしから煩悩まみれの生活に落とされたけれども、「渡来人が来てくれて良かった!」と書きました。表面的に見ると悪いことばかりなのに、なぜ良かったと言えるのか?それを今回説明したいと思います。

日本人は大陸から離れた、目立たない小さな島で、ひっそりと長い間平和に暮らすことができました。しかし、いずれ大陸にある大国が進出してくる流れにありました。中国や後の欧米諸国です。それらの国々にいるのがどんな人たちだったのかというと、どれもこれも、縄文人に比べたら野蛮人ばかりでした!それもただの野蛮人ではなく、征服欲が強くて侵略的なはた迷惑な人たちです。そしてこの野蛮な人たちが世界を支配することになっていました。

そんな野蛮人から身を守るには、一度自分も野蛮人になる必要があったのです。聖人のままでは対抗できません。縄文人と同じ種族だったと思われるネイティブアメリカンたちは、ヨーロッパからやって来た入植者たちからつけ込まれ、駆逐されてしまいました。なすすべがありませんでした。日本人も縄文人のままだったら、同じ運命をたどったでしょう。ですから、渡来人が来てくれて良かったのです。蹴散らされることなく同じ土俵に立って対戦することができました。

そしてもう一つ重要だったのが、渡来人が親類だったことです。大陸人の血を大陸人から直接受け取るのではなく、血のつながりのある親類から間接的に受け取ったのです。第一波の渡来人は平和的に縄文人と混血し、大陸人の血を静かに広めてくれました。第二波の人たちは大陸人になりきって価値観を押し付けてきましたが、親類であることには違いありませんでした。間接的に受け取ったということで、衝撃は和らげられたと思います。

その点、朝鮮半島の人たちは大陸人から直接ですから、その衝撃は日本列島の縄文人とは比べることができない程だったと推測されます。何しろ、大陸人は残虐な面があります。 朝鮮半島の人たちはその苛烈な力をまともに受けるしかなく、ダメージは大きかったと思われます。大陸軍との戦いの前線に立って、日本人の緩衝材になってくれたと言ってもいいかと思います。損な役回りだったのです。だから、いまの韓国が理不尽なことを日本に対していろいろ行っていますが、理解できる部分が少しだけですがあります。絶妙のタイミングで、二波に分かれて来てくれました。「必要・必然・ベスト」だったのだと思えてなりません。

彫りの浅い顔になってしまったけれども、「渡来人が来てくれて良かった!」と書きましたが、譲れない一つの条件があります。それは、“縄文のこころ“が復活することです。それが復活することなく今のままでしたら、「良かった」などとはとてもじゃないですが言えません。

その“縄文のこころ“をいかにして復活させていくか。それがこれからの課題です。それを成し遂げ、壊れゆくいまの文明に代わる文明を提供していくのが、日本人の存在意義であり、日本人の使命だと考えています。